2016年1月19日火曜日

2回目のトーゴへ。クラウドファンディングに挑戦中です!

(2016/01/27追記)
無事にクラウドファンディングが成立しました。
皆様ありがとうございます。
来月トーゴに再び渡航するにあたり、このブログを再開させようと思います。

現在、3年半ぶりのトーゴ渡航へ向けて、
READYFORでクラウドファンディングに挑戦しています。

「西アフリカ・トーゴの子どもたちに、和太鼓の音色を聴かせたい!」
(URL: https://goo.gl/32wu3w ) と言うタイトルで、トーゴに再び戻り、現地の子どもたちにむけて和太鼓と西アフリカの太鼓・ジャンベの協奏を聞かせたいと考えています。



現在、和太鼓の輸送費などの資金集めをクラウドファンディングで行っており、プロジェクトに共感して、支援をしてくださる方を探しています。

現在、資金集めの締切の1月26日まで1週間をきっており、もし目標額に期限内に到達しないと、プロジェクトが失敗となり1円もいただくことができず、企画そのものも頓挫してしまいます。

どうか、目標額に100%到達すべく、皆様のご協力をいただけないでしょうか?
何としても達成させて、3年前お世話になったトーゴの人たちに恩返しがしたいのです。
よろしくお願いします。



プロジェクトページはこちら↓
西アフリカ・トーゴの子どもたちに、和太鼓の音色を聴かせたい!
https://readyfor.jp/projects/togo_wadaiko_djembe




(補足)
クラウドファンディングとは?
最近一般的になりつつある資金調達の仕組みです。
インターネット上のプロジェクトページを通じて、たくさんの人々に比較的少額の資金提供を呼びかけ、共感を頂いたみなさまからの支援を基に、そのプロジェクトを実行するというものです。

2012年9月20日木曜日

開発に関わることの難しさ

今回は肝心のここでのインターンの話をします。
実は、元々参加するはずだったプロジェクトが予算不足の危機に陥ってしまった関係で、なかなか満足の行く活動が行えていませんでした。
同じプロジェクトのもう一人の日本人と、なんとか解決策を見出して状況を打開しようと試みたのですが、次から次へと障壁が表れ、なかなか結果を残すことができませんでした。
9月からは首都のロメにある別のNGOでの活動に移ることになり、
そこではHIV/AIDSの啓蒙活動や、街の子どもたちに英語とかんたんな日本語を教えるクラスを開いています。
そのNGOで活動の傍ら、元々滞在していた村に貢献する方法を模索中です。
問題は山積みでうまくいくかはわかりませんが…

今まで活動について書かなかった(書けなかった)のは、
自分で納得の行くような結果が活動ができていなかったからです。
今のNGOではそれなりに活動ができてはいますが、
元々やりたかったことと一致してはいないので、満足しているとは言い切れません。

わかってはいたことですが、開発に携わるというのは、
一学生にとって簡単なことではないと、ここで痛感させられています。

村に滞在していたある日のことです。
村に外国人が何人も滞在しているというのは珍しいので、
僕らが滞在していたsocial centerには毎日たくさんの子どもが遊びに来ていました。
その中の一人が苦しそうにしているので、おでこを触ると、ものすごい高熱を出していました。
村には病院も薬局もありません。
僕は医学生ではないので、当然彼の病気が何なのかわかりません。
おまけにフランス語すら満足に話せない僕と、
同じく現地語は喋れるけどフランス語はあまり得意でない小さな子どもでは
満足に会話もできず、症状を聞くことすらができませんでした。
僕にできたのは、その子を背負って家まで連れて行くことだけでした。
僕の参加していたプロジェクトでは、
保健衛生の分野で、薬局の建設と、廃墟となった病院の再建が目標とされていました。
薬局の方は、外観、内装はほぼ完了していたのですが、薬や、それを保管する冷蔵庫を買う予算が足りていませんでした。
幸い、その子は数日後、まだ少し熱はあったようですが、またcenterに遊びにこれるまでに回復しましたが、
問題が目の前に見えているのに、
自分にはどうすることもできないことが、特に強く実感される出来事でした。

インターンという立場ですので、
大きく開発に貢献できないのはわかっていましたが、
このまま何もできないまま、
トーゴでの滞在が終わってしまいそうなのがかなり悔しいです。

お金だけでなく、自分にフランス語のスキルだったり、開発に関する専門的な知識、経験があれば、
もう少し状況は変えられたのかも知れません。
ただただ自分の無力さを痛感すると共に、
なんとなくですが、帰国後、自分がしなくてはいけないものが、
ここでの滞在を通して、見えてきた気がします。

僕はちょうど1年後、大学の交換留学制度を使って、
1年間イギリスの大学に行き、そこで開発学を勉強する予定でいます。
その勉強を終えたあと、またこの地に戻って、
今回の後悔を取り返すことができたらなぁなんて考えています。
まだ先の話ですが。


2012年9月19日水曜日

物乞いビジネス

毎週日曜日は、ほとんどのお店は休みで、首都のロメはいつもの賑やかさを失い静かになります。
都心部はキリスト教の人が多いためか、朝は教会に行く人が多いです。
家にいてもどこからか賛美歌が聞こえてきてなんとも穏やかな休日といった感じです。
しかし、午後になると、downtownのビーチには人が集まり出します。
特に9月は夏休みシーズンらしく、
携帯会社による大規模なイベントが行われていたりするせいか、
特に人が集まるみたいです。
先週はそのイベントの最終日だったらしく、びっくりするぐらいビーチが人で埋めつくされていました。
ビーチを埋め尽くす人々


こうしたイベントや、市場など、人々、特に裕福な層や観光客が集まるところでは、
物乞いの子どもに出会ったりします。
汚れたヨレヨレの服を着た小さな子どもに袖を掴まれ、
食べ物やお金をせがまれるとなんとも断りにくいものです。
中には本当にストリートチルドレンだったり、孤児だったりする子もいるらしいですが、
一方で、両親が子どもに物乞いをやらせているケースもあります。
例えば、下の写真の緑色の服を来た女の子は、僕がビーチで見つけた物乞いで、
大人のもとに駆け寄って腕を掴んではお金をせがみます。


トーゴ人はみんなひとがいいので割りといい確率で女の子はお金をもらってました。
1回につき100CFAフラン(約15円)や200CFA(約30円)フランのコインですが、
それでも、10-15分くらいで2,3人からもらえるので、僕が1時間弱彼女を見ていた間だけでも、
おそらく2000CFAフランくらいは稼いでいたのではないでしょうか。
日本円に直すと300円くらいですが、こっちの物価で考えるとかなりいい額になります。
一緒に来たホストブラザー曰く、1日で10000CFAフランくらい彼女は手に入れるのではと言ってましたが、
こっちで1日にそれだけの額を稼ぐのはなかなか大変です。
なんとなく気づいてるかも知れませんが、当然この子にはちゃんと家族がいます。
肌の色が違う(おそらくnigeria人かniger人)ので、比較的簡単に見つかりました。
というかもう少し離れればいいのにというくらい近くにいたので
その証拠が下の写真です。

お兄さんはアボカドをはさんだパンや、アイスを食べてました。
あとで話を聞いた(というか、お姉さんのほうが美人だったのでホストブラザーが話しかけに行ったのですが笑)ところ、
両親もちゃんといる家族のようです。
今まで物乞いに簡単に物をあげてはいけないとわかっていたものの、
ここまではっきりと裏側が見られるとは思ってなかったので驚きました。
もちろん本当に孤児や捨て子の場合もあるので、難しい問題ではあるのですが。

お金をせがまれたトーゴ人の中でも、すぐに家族の存在に気づく人もいて、
そういう人も怒ったりせず、笑顔で子どもや家族に話しかけ、
子供や家族も悪びれる様子もなく笑っているのを見て、
トーゴ人の人の良さが伝わって来ました。
もしかしたらお金をあげてる人も、家族の存在に気づいているのかも知れません。

そういえば、先日お会いした日本人唯一のトーゴ長期滞在者の方が、
トーゴ人は人が良すぎるからビジネスの世界で隣国のガーナやベナンにうまいことやられて成長できないんだと言っていました。
実際、トーゴは、2010年の国民一人あたりの所得(GNI)がわずか$440、国際的に貧困の基準とされる、1日$1.25以下で暮らす人の割合も約40%にのぼる、非常に貧しい国です。
さらにGDPの国民一人あたりの成長率も、1970年から90年の20年間で、-0.6%、90年から2010年までの成長率も0%でした。つまり、この国の経済は1970年からストップしてるどころか少し交代しているのです。
暖かく優しい人の多いこの国ですが、ビジネスや経済の成長を考えると、それだけではいけないのかも知れません。
カメラを向けたら笑ってくれました


Am I a Chinese?

世界中どこに行っても子どもは可愛いものです。
トーゴの子ども達はヨーロッパ・アジア系の人を見ると、
ヨボ!ヨボ!(現地語で'白人'という意味。彼らから見ると黄色人種も'ヨボ'みたいです)と呼んで手を振ってきます。
もしくは、これは大人もそうなのですが、chinois(フランス語で中国人)!や、China!、ニーハオ!と呼ばれます。
彼らからしたら、日本人も韓国人もみんな中国人です。
まぁ日本人の長期滞在者は一人しかいない一方で、
中国人はアフリカ進出に力を入れていて、実際トーゴで見るアジア人はほとんど中国人だし、ビーチ沿いの高級ホテルやバーが並ぶ地域に中国料理屋があったりするのでしかたないかなぁと思ってます。
僕だってトーゴ人とガーナ人の区別は全くつきませんし。
あと、トーゴではジャッキーチェンやブルース・リーが人気らしく、
ジャッキー!と声をかけられたりします。
そんな時は適当にファイティングポーズをして返します。
ただ、たまに中国語の真似をして話しかけてくるので、
(しかもなんとなく軽蔑的な感情が込められてるのがわかります笑)
そんな時はJe suis japonais!(俺は日本人だ!)と訂正しておきます。

かといって、日本がここトーゴで完全に中国に押し負けてるかといったらそうでもありません。
例えば、トヨタや、日産、マツダなどの日本製の車が街ではたくさん走っています。
moto(バイク)は残念ながら中国製が多いですが、日本のブランドに憧れがあるのか、
SHARPやSONYのシールが張ってあったりします。
だからトーゴでは日本では見ることのできないSHARP製やSONY製のバイクに乗れます。
しかし、SHARPやSONYの本業である電化製品は韓国企業が主流のようです。
パソコンやテレビもSAMSUNGやLGが多く、たまにTOSHIBAといった感じです。
僕がこっちで使ってる携帯もNOKIAです。
ただ、お金持ちの家に行くとゲームがあったりして、
そこではPS2や懐かしの64に出会えます。
(ちなみに、この間ウイイレで日本対トーゴの試合をして惨敗しました。ごめんなさい。ゲーム苦手なんです。)
あと、日本のアニメはトーゴでも流行っていて、
特にNARUTOやドラゴンボールは子ども達に人気があります。

これがグローバル社会というものなんでしょうか。
日本人のほとんどが名前を聞いたこともないであろう、
どこにあるのかもわからないような小さな国でも、
日本のものに出会えるというのはなんとなく不思議な感じです。


トーゴグルメ旅

気がついたらトーゴの滞在も1週間となりました。
全く更新できませんでしたが、今週くらいまとめていくつか書こうと思います笑

今回はトーゴの食べ物について紹介します。

アフリカだからと言って、全く日本と違うものを食べているかというと、
そういうわけでもありません。
パン、ご飯、スパゲッティだったら比較的どこでも簡単に手に入ります。
もちろんお米は日本のほうが何倍もおいしいですね。
日本人だからなのもあるんでしょうが。
例えばパンは100-150CFAフラン(15-20円)くらいでどこでも手に入ります。
あと、道端の青空食堂みたいな感じのところに行けば、
ご飯とスパゲッティにトマトソースのかかった150CFAフランくらいで買えます。
魚や卵、(たまに鶏肉も)100CFAフランくらいで追加できます。

首都のロメは海が近いこともあって、魚をよく食べるのですが、
個人的には日本の魚の方が好きなので、卵だけ足して食べることが多いです。
ちょっと贅沢したければ、ちゃんと作りたてを出してくれる食堂に行けば、
500CFAフラン(約75円)でソーセージの入ったスパゲッティも食べれます。
ペッパー(唐辛子)は好みで入れてくれたりしますが、基本的にはご飯もスパゲッティもトマトソースで食べます。

次にトーゴの郷土料理を紹介します。
まずはFu-fu(現地語であるeve語は表記できないので表記は適当です)
ヤムイモを餅みたいについて作ります。
これに(やっぱり)トマトをつかったソースをつけて食べます。

次に紹介するのはジャンクメです。
これはなかなかインターン生に好評です。
トウモロコシの粉などを練って、(とにかく)トマトなどと一緒に炒めて作ります。


あと、コリコもなかなかインターン生に人気です。
ヤムイモを揚げたもので、フライドポテトの様な味です。
(当然)トマトソースにつけて食べます。


それから、これは好き嫌いがわかれるのですが、
acmeという料理もあります。
これもトウモロコシからできていて、なんだかよくわからないオクラのような野菜や魚からできた粘り気のあるソースにつけて食べます。
なんとなく日本の納豆みたいな位置づけだと解釈してるのですが、
今のホストブラザーは大好きで、殆ど毎晩食べてます笑
上の写真食べかけですみません(^_^;)

当初恐れていたよりは食べられるものが多い、というか基本的にどれも好きなので、
(もしかしたら自分が味音痴なだけかも知れませんが)
3食しっかり食べてます。
一度食べ過ぎでお腹を壊したくらいです。
ただ、さすがにトマトソースには飽きてきたので、日本の醤油や味噌が恋しいこのごろです。

2012年9月13日木曜日

日々の暮らし

また更新間隔があいてしまいました。
今回はトーゴでの暮らしについて書きたいと思います。
今は、トーゴの首都ロメに滞在しているのですが、少し前までは、ロメから110km離れたAgou Apegameという村に滞在していました。


ソーシャルセンターと言う建物で
電気は通っていて、コンセントも部屋にあります。

水は僕が来る直前に出なくなったらしく、近くの井戸へ汲みに行きます。
これがなかなか重労働で、大きいバケツに入れて2人がかりで運んでいるのですが、
地元の人は同じくらいの大きさのバケツを頭に乗せて1人で運んでしまいます。
自分より小さな子どもや女の人も運んでいて、自分もやってみましたが、
バランスをとるのが難しく、水をこぼしまくってしまいました。

この水は、さらに大きなバケツに貯めておいて、
洗濯、食器洗い、トイレ、シャワーなどに使います。
日によって差はありますが、綺麗な水とは言い切れないので、
飲み水としては使ってません。
その代わりにパックの水が売っていて、地元の人もこれを飲んでいるみたいです。
ただ、わりとどこにでも捨ててしまうので、村を歩けば、
パックのゴミがそこらじゅうで見つかります。

また、井戸の水は地下水らしいのですが、たまに少なくなることがあり、
そういう時は一晩シャワーを我慢することもたまにあります。

気候はびっくりしたのですが、日本よりも涼しいです。
湿度もそれほど高くなく、朝晩はTシャツ1枚だと寒いくらいです。
今は乾季と雨季の中間くらいらしく、曇の日が多いです。
雨は1日じゅう降り続くと言うよりは、1日のうちに降ったり止んだり、といったことが多く、
洗濯物を干すタイミングが難しいです。

村の人々はみんな優しくて、フランス語のほとんどわからない僕らにも丁寧に接してくれます。
子ども達はみんな可愛いです。

だいぶ日本とは生活の仕方が違うのですが、
キャンプみたいだと思えばそれほど対応できないこともなく、
今ではそれほど不自由を感じることは少なくなりました。
人間なんとか適応できるものだなぁと思ってます。


一方、今暮らしている首都のロメは、
Agouと比べるとだいぶ発展していて、高い建物もあります。
水洗トイレやシャワー(水ですが)もある家庭が多いです。

Agouよりも貧しく、電気も通っていない村もあって、
トーゴ国内でもかなりの格差があるのが感じ取れます。


2012年8月20日月曜日

Why Togo??

こんにちは、無事にトーゴについてから、もうすぐ一週間です。

だいぶこっちでの生活にも慣れてきました。
今、首都のロメから約160kmくらい離れたAgou Apégamé という村に滞在しています。

今回は、何でインターン先として、トーゴを選んだのか、
という話をしたいとも思います。
記事を書いても、更新できるネット環境があんまりなくて、
いまさらですが、すみません。

トーゴってどーこ?
ってのは僕の高校の友だちのネタですが、
多分知らない人も多いので書いときます。
上の画像の赤い細長い国がトーゴです。
西にあるのがガーナ、東にベナン、北にブルキナファソです。
面積は九州と四国を足したくらいの小さな国です。
なぜこの国を選んだかというと、正直全然知らない国だったからです。

例えば観光にしても、世界遺産は1つしかなく、
有名な「地球の歩き方」シリーズも、西アフリカ地域のものはありません。
日本の進出企業も2社だけ、
大使館もJICAもありません。在留邦人は1人だそうです。

なので、ネットで日本語で検索しても、ほとんどトーゴの情報は手に入りません。
こうした現状から、多分、この機会を逃したら、一生トーゴという国に滞在する機会は得られないかもしれない、と考えました。

なので、トーゴからインターンの誘いを受けた時に、
それに乗ることを決めたのです。

また、今回のインターン先も、魅力でした。
途上国、アフリカと言っても、現在ではかなり発展が進んでいる地域も多いです。
ネットで、ナイロビやケープタウンの画像を調べると、
東京と比べても遜色ないビル群があったりすることがわかります。

そんななかで、まだ発展の進んでいないトーゴの、
さらに田舎でインターンができたら、
今回の目標である「途上国で生きる」という目標が大いに達成できるのではないかと思いました。

次回はこっちでの生活について書こうかと思います。